岐阜県大野町の来振寺の歴史と国宝・節分星まつり2026年最新完全ガイド
2026年現在、歴史ファンや仏像愛好家の間で改めてその深い歴史と秘仏の存在が注目を集めている岐阜県大野町の来振寺。霊亀元年に行基によって創建されたと伝わる同寺は、西美濃三十三霊場第二番の古刹として、長きにわたり地域信仰の中心を担ってきました。本記事では、国宝に指定されている貴重な「五大尊像」の背景や、毎年2月に開催される迫力の「節分星まつり」の見どころ、そしてアクセス情報まで、信頼できる公式データをもとに徹底解説します。
古代から中世、そして現代に至るまで、幾多の歴史の波を乗り越えて受け継がれてきた文化財や行事は、日本仏教の歴史を紐解く上で欠かせないピースとなっています。本稿では、来振寺が持つ本来の魅力や背景にある歴史的文脈を紐解きながら、訪れる前に知っておくべき情報を分かりやすく整理してお届けします。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:来振寺は霊亀元年(715年)に行基が創建したと伝わる、揖斐郡内最古級の真言宗智山派の古刹である。
- 要点2:平安時代作とされ奈良国立博物館に寄託されている国宝「五大尊像」など、貴重な文化財を多数伝える。
- 要点3:毎年2月第1日曜日に開催される「節分星まつり」では、厄年の男女が護摩木の炭火の上を歩く勇壮な火渡りが行われる。
来振寺の歴史的背景と創建の謎:行基による開山から勅願寺への歩み
岐阜県揖斐郡大野町稲富に位置する宝雲山明星院・来振寺は、公式記録や町史などの伝承によると、霊亀元年(715年)に名僧・行基によって建てられた法相宗の「新福寺」がその源流であるとされています。その後、神亀2年(725年)の夏にこの地に黄金色の雪が降るという瑞祥(めでたい前兆)が起こり、その噂を聞きつけた聖武天皇の勅命によって「来振寺」へと改称され、勅願寺に列せられたと伝えられています。
平安時代以降は真言宗の拠点として整備され、西美濃三十三霊場第二番札所および美濃新四国第五十五霊場としても多くの巡礼者を迎えてきました。平成27年には開山1300年という大きな節目を迎え、地域に根ざした信仰の場としてだけでなく、日本の仏教美術や古代史を伝える貴重な文化遺産の宝庫として、その歴史的価値が改めて高く評価されています。

国宝「五大尊像」と寺宝の全貌:京都・平安仏教美術の粋
来振寺が文化財の宝庫として全国的に知られる最大の理由は、国宝に指定されている絹本著色「五大尊像」を伝来してきたことにあります。現在は安全な保存と公開のため、奈良国立博物館に寄託されていますが、その美術史的価値は極めて高いものとして専門家の間でも広く知られています。
公式百科事典や美術研究のデータによると、来振寺本は「智証大師将来様」と称される台密寺門(園城寺)系の図像であり、東密系の五大尊における金剛夜叉明王に替えて烏蒭沙摩明王が加わる点が最大の特色となっています。全5幅から構成されていますが、不動明王幅は画面の損傷が比較的大きく、制作年代も他の4幅よりやや下るとみられるなど、緻密な調査・研究が進められています。
来振寺の基本情報・文化財・アクセス対照表
来振寺を訪れる際、あるいは事前にその全貌を把握する上で役立つ基本スペックや指定文化財の情報を以下の一覧表にまとめました。
| 項目 | 詳細・内容 | 備考・公式データ |
|---|---|---|
| 山号・寺号 | 宝雲山 明星院 来振寺(きぶりじ) | 真言宗智山派 |
| 所在地 | 岐阜県揖斐郡大野町稲富 | 西美濃三十三霊場第二番 |
| 創建 | 霊亀元年(715年) | 行基による創建(伝承) |
| 主な本尊 | 十一面観世音菩薩(秘仏) | - |
| 主な寺宝 | 国宝 絹本著色五大尊像(5幅) | 奈良国立博物館に寄託 |
| 主な行事 | 節分星まつり | 毎年2月第1日曜日に開催 |

毎年2月開催「節分星まつり」の見どころ:伝統の火渡り神事の全貌
来振寺の年間行事の中で最も広く知られ、多くの参拝客でにぎわうのが毎年2月第1日曜日に実施される「来振寺節分星まつり」です。1300年以上の歴史を誇る同寺の伝統行事であり、一年の無病息災や厄除けを祈願する厳粛かつダイナミックな祭典として親しまれています。
祭りのハイライトとなるのは、厄年の男女たちが境内で焚かれた護摩木の赤々と燃ゆる炭火の上を素足で歩く「火渡り神事」です。炎と煙の中で自身の厄や災いを払い、新たな年の平穏を祈るこの荒行は、訪れる人々に強い印象を与えます。厳冬期の美濃路に響き渡る読経の声と、燃え盛る護摩の炎が織りなす光景は、古くから継承されてきた日本の民間信仰の姿を今に伝える貴重な文化的ワンシーンとなっています。
知られざる歴史のロマン:仏教文化が花開いた西美濃の拠点
大野町一帯は、古代から揖斐川水系をはじめとする豊かな自然環境に恵まれ、交通の要衝として文化や人流が交差する土地でした。来振寺がこの地に根を下ろし、聖武天皇の勅願寺となるほどの隆盛を極めた背景には、当時の朝廷と地方豪族、そして行基をはじめとする高僧たちの布教活動が密接に結びついていたことがうかがえます。
寺伝に伝わる「黄金色の雪」という神秘的な瑞祥の物語も、当時の人々が感じた仏法のありがたさや、この地が持っていた特別な霊性を物語るエピソードと言えます。単なる古い寺院という枠組みを超え、平安密教の図像学的展開や地方における仏教文化の受容を考える上で、来振寺が果たしてきた役割は計り知れません。

【来振寺】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:来振寺の本尊はどのような仏像ですか?
A1:本尊は秘仏である「十一面観世音菩薩」です。普段は厳重に秘蔵されていますが、地域の信仰や霊場の札所本尊として大切に守られてきました。
Q2:国宝の「五大尊像」は現在どこで見ることができますか?
A2:来振寺が伝来した絹本著色五大尊像(5幅)は、文化財の保護および適切な管理のため、現在は奈良国立博物館に寄託されており、同館の企画展等で公開されることがあります。
Q3:節分星まつりは一般の参拝客も参加できますか?
A3:はい、一般の参拝客や見学者も広く受け入れられています。毎年2月第1日曜日に開催され、迫力ある護摩木の火渡り神事などを間近で見ることができます。
まとめ:1300年の歴史を刻む美濃の古刹の未来
岐阜県大野町に佇む来振寺は、霊亀元年に行基が拓いて以来、1300年以上の長きにわたり地域の祈りと文化を支え続けてきました。国宝の五大尊像に代表される高度な仏教美術、そして毎年2月の節分星まつりに見られるような生きた伝統行事は、現代においても私たちに深い歴史的ロマンと精神的な安らぎを与えてくれます。
古代の創建譚から平安密教の精華、そして地域住民に愛され続ける年中行事まで、来振寺が持つ多面的な魅力を知ることは、日本の伝統文化の奥深さを再発見する素晴らしい機会となります。西美濃を訪れる際には、ぜひ足を運んでその歴史の息吹を肌で感じてみてはいかがでしょうか。 (出典: 来 振 寺(Yahoo!ニュース))