第73代横綱・照ノ富士の波乱に満ちた相撲人生!序二段からの奇跡の復活劇と2026年引退相撲の軌跡
大相撲の歴史において、数々の怪我や病気を乗り越えて不死鳥の如く蘇った力士といえば、第73代横綱・照ノ富士春雄の名前が真っ先に挙げられます。モンゴル国ウランバートル市出身で伊勢ヶ濱部屋に所属した彼は、大関昇進後に両膝の度重なる怪我や内臓疾患などにより、一時は幕下・序二段まで番付を大きく落とすという絶望的な状況を経験しました。
しかし、そこから驚異的な執念とリハビリを経て大関へ復帰し、さらに史上初となる「序二段からの横綱昇進」という前人未到の偉業を達成。本稿では、激動の相撲人生を歩んだ照ノ富士のこれまでの経歴、家族の支え、そして2026年1月に両国国技館で行われた引退相撲に至るまでの軌跡と真実を徹底的に解説します。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1: 照ノ富士は怪我や病気による序二段陥落から大関復帰・横綱昇進を果たした大相撲史上初の不屈の横綱である。
- 要点2: 私生活では2018年に結婚し、2022年に長男が誕生。家族の存在や我が子の誕生が土俵への強い原動力となった。
- 要点3: 2026年1月31日の引退相撲を経て、同年6月からは年寄・伊勢ヶ濱として後進の指導にあたっている。
第73代横綱・照ノ富士の波乱万丈な相撲人生と奇跡の復活劇
照ノ富士の相撲人生は、まさに「波乱万丈」という言葉が相応しいドラマに満ちています。入門時は間垣部屋、のちに伊勢ヶ濱部屋に所属し、圧倒的な体格と鋭い寄り・押しを武器にスピード出世を果たしました。2015年夏場所では初優勝を飾り、同年7月場所後には若くして大関に昇進。将来の横綱候補として誰もがその未来を疑いませんでした。
しかし、その直後から両膝の深刻な変形性関節症や内臓の病気が重なり、土俵に上がれないほどの苦境に立たされます。休場が続いたことで番付は急降下し、ついに幕下、そして序二段へと陥落。多くの関係者やファンが「もう彼の全盛期の相撲は見られないのではないか」と引退を囁く中、本人は諦めることなく泥臭いリハビリと稽古を重ね続けました。
そして迎えた平成31年春場所、序二段の土俵で現役復帰を果たした彼は「相撲人生を2回楽しんだ」と後に振り返っています。周囲の想像を絶する努力によって這い上がり、幕内優勝を重ねてついに大関へ復帰。さらに2021年名古屋場所で4度目の優勝を遂げ、同年7月場所後には第73代横綱への昇進を正式に果たしました。

横綱昇進から度重なる苦難、そして引退へ至る決断
横綱に昇進してからも、照ノ富士の体との戦いは続きました。左の肋軟骨の損傷や慢性的な両膝の故障に悩まされ、休場や復帰を繰り返しながらも、土俵に上がる時は常に「横綱としての責任感と執念」を前面に出し続けました。横綱審議委員会からもその敢闘精神と責任感は高く評価され、満身創痍でありながらも土俵に立ち向かう姿は多くの人々に感動を与えました。
しかし、限界を迎えた体は次第に本来の力を発揮できなくなり、「これ以上の気持ちと体で土俵に立つべきじゃない」と現役引退を決断。師匠である伊勢ヶ濱親方も「やれることは十分にやった。横綱になったこと自体が奇跡に近い。精神力は誰よりもある」と、その不屈の魂を深く称賛しました。
引退後は日本相撲協会に残り、2025年6月からは年寄・伊勢ヶ濱を襲名。今後は自身の経験と強い精神力を次世代の力士たちに受け継ぎ、「自分に嘘をつかない、自分を曲げない力士を育てたい。その力士は必ず強くなる」という強い信念のもと、親方としての新たな道を歩み始めています。
照ノ富士の主な経歴と相撲人生の軌跡(年表データ)
ここでは、大相撲における照ノ富士の主な経歴や、歴史的なターニングポイントを分かりやすく一覧表にまとめました。
| 時期・年 | 出来事・主な実績 | 備考・詳細 |
|---|---|---|
| 1991年11月 | モンゴル国ウランバートル市で誕生 | 本名:杉野森 正山、入門時の四股名は照ノ富士 |
| 2015年7月場所後 | 大関昇進を果たす | 新入幕から短期間でのスピード出世 |
| 2017年〜2018年 | 怪我と病気により序二段まで陥落 | 両膝の故障や内臓疾患により長期休場を経験 |
| 2019年春場所 | 序二段で土俵に復帰 | 「相撲人生を2回楽しんだ」と語る原点の一番 |
| 2021年7月場所後 | 第73代横綱に昇進 | 史上初となる「序二段からの大関復帰・横綱昇進」を達成 |
| 2021年8月 | 日本国籍を取得 | 日本相撲協会に残るための要件を満たす |
| 2025年6月 | 年寄「伊勢ヶ濱」を襲名 | 現役引退後は指導者として後進の育成に尽力 |
| 2026年1月31日 | 両国国技館で引退相撲を開催 | 横綱土俵入りや断髪式が行われ、多くのファンに見送られる |

家族の支えとプライベート:妻や子供への思い
不屈の横綱として土俵で戦い続けた照ノ富士ですが、その裏では家族の温かい支えがありました。2018年2月15日に、大関昇進前から長年交際を続けていたモンゴル人女性(元横綱・旭天鵬の従妹)と結婚。2021年2月には富岡八幡宮で結婚式を挙げ、公私ともに大きな基盤を築きました。
さらに、2022年11月には待望の第1子となる長男が誕生しています。モンゴル帝国の初代皇帝チンギスハンの本名に因んで「照務甚(てむじん)」と命名された長男の存在は、晩年の土俵人生において大きな心の支えとなりました。
子どもが生まれたことで相撲への向き合い方に変化があったか問われた際には、「子供が生まれたからもっと頑張れるなら…その前から頑張るべき」と語り、父親としてだけでなく、一人の求道者として常に自分に厳しくあり続けた姿勢が印象的です。2024年の春巡業や靖国神社の奉納相撲では長男を伴って土俵入りを披露するなど、リング外での温かい父親の一面もファンの心を和ませました。
2026年1月の引退相撲:両国国技館で行われた感動のフィナーレ
現役生活にピリオドを打った照ノ富士は、2026年1月31日に東京・両国国技館において盛大な引退相撲を開催しました。この日は長年のファンや相撲関係者が多数駆けつけ、土俵の最後を見守る感動的な一日となりました。
最後の横綱土俵入りでは、愛息である長男とともに土俵に上がり、露払いに大の里、太刀持ちに豊昇龍という現役を代表する横綱たちを従える非常に豪華な顔ぶれを披露しました。その堂々たる姿とこれまでの苦難を思い起こさせる雰囲気に、会場からは惜しみない拍手が送られました。
続く断髪式では、元3代若乃花の花田虎上氏や白鵬翔氏をはじめ、約330人もの関係者がはさみを入れ、それぞれの思いを横綱に託しました。止め鋏は入門時の師匠である宮城野親方が入れ、涙と笑顔が入り混じる中、照ノ富士の現役力士としての歴史に美しい幕が下ろされました。

【照ノ富士】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:照ノ富士が「史上初」と言われる理由はなんですか?
A1:大関昇進後に怪我や病気で負け越しや休場が続き、一時は幕下・序二段まで陥落しながらも、そこから這い上がって再び大関、そして横綱に昇進した大相撲史上初の力士であるためです。
Q2:照ノ富士の子供の名前や誕生年はいつですか?
A2:2022年11月に第1子となる長男が誕生しており、モンゴル帝国の初代皇帝チンギスハンの本名に因んで「照務甚(てむじん)」と名付けられました。
Q3:引退後の活動や現在の役職はどうなっていますか?
A3:引退後は日本相撲協会に残り、2025年6月からは年寄・伊勢ヶ濱を襲名。今後は親方として後進の指導にあたっています。
まとめ:不屈の精神力と「自分を曲げない」生き様が残したレガシー
第73代横綱・照ノ富士の相撲人生は、挫折から這い上がる人間の底知れない強さと、信念を貫くことの尊さを私たちに教えてくれました。絶望的な序二段からの奇跡的な復活、数々の怪我に耐えながら果たした横綱昇進、そして家族の支えを受けながら全うした土俵人生は、大相撲の歴史に永遠に刻まれるものです。
2026年1月の引退相撲を経て、今後は指導者・伊勢ヶ濱親方として第二の人生を歩み始める照ノ富士。「自分に嘘をつかない、自分を曲げない力士を育てたい」という言葉通り、彼が育て上げる次世代の力士たちが今後どのような土俵を見せてくれるのか、多くの相撲ファンからの期待と注目が集まっています。 (出典: 照 ノ 富士(Yahoo!ニュース))